2025年度 第51回高崎まつり
一心共生 ~繋がる心、響き合う高崎まつり~高崎駅西口に降り立てば、御囃子や太鼓の音が鳴り響き、多くの人々の活気に包まれ、山車の巡行や神輿の渡卸など、伝統芸能を中心に出店が並び、初日の花火大会では、約1万5千発もの花火が夜空を彩る群馬県最大規模の夏まつりである高崎まつり。
高崎に住まう人であれば、この祭典がまちの誇りであり、夏の風物詩であると感じる方も多いのでないでしょうか。高崎まつりは地域の風習や伝統、神社の祭事とは由来が異なり、市民が立ち上げ、市民が作る、市民総参加型のおまつりとして発展してきました。私はこの物語が大好きです。
1975年、オイルショックの影響により市は、「市制75周年事業」の中止を決定したが、町内から山車を引きたいという希望があり、高崎青年会議所が記念事業として「高崎ふるさとまつり」と名付け高崎市の参画も補助金もない中「市民の誰もが参加でき、参加した人々が連帯感を持てる様なまつり」をコンセプトに開催されました。行政が参加しないまつりのため、各町内に参加を呼びかけ、23町内の協力で山車巡行も行いました。一度だけのつもりで開催した「高崎ふるさとまつり」でしたが、手作りのまつりが好評を博し、毎年続ける事になりました。翌年には高崎市青年商業者研究会、高崎青年経営者協議会の諸団体も参画し、ワッペン販売が始まりました。1985年には市制85周年を記念し、「高崎まつり」に名称変更し、市が参画する様になりました。「高崎ふるさとまつり」を引き継ぐ意味から 「第11回高崎まつり」として開催され、高崎水道工事業協同組合・水青会、高崎電気工事協同組合青年部・紫電会、高崎問屋街青年経営者研究会の3団体も参画し、現在の青年団体で運営する形となりました。2024年に開催された「第50回高崎まつり」では90万人の来場者があり、100万人規模のおまつりまで目の前となりました。
そして本年で51回目を迎える高崎まつり。私たちも先人たちのように高崎まつりを楽しみにしている方に対し、黒子に徹し高崎まつりを作り上げなくてはなりません。そのためには第1回を作り上げた先人達が、誰のために、どんな思いで創り上げてきたのか、本質を理解したうえで真摯に向き合う必要があります。そして、これまでの高崎まつりの想いと歴史を後世に紡いでいく事も、私たちの使命です。多くの市民、関係者の皆様、そして各青年団体のひとり一人の思いと努力を紡ぎ、高崎の誇りとも呼べるこの高崎まつりを未来へ残していく必要があります。
各青年団体から出向者を輩出していただくにあたり、高崎まつりをつくり上げる中で多くの苦難がありますが、共に切磋琢磨し合い、強い絆をつくるのみならず、個が大きく成長できる実施本部を創り上げていく事を心よりお誓い申し上げます。
第51回 高崎まつり 実施本部長 山﨑 誓大